ストレス耐性
「鬱は甘え」
よく聞く話。
自分は鬱ではないけれど、自分が鬱傾向だったころがあるからこそ、肯定もしてしまう自分がいる。
自分を否定する人間だからこそ、鬱は甘えだと自分で思ってしまうのだ。
「職場環境がストレスです」
といって、薬を目の前でバカスカ飲まれたり。
患者の見えるところで薬を飲んだり。
仕事に熱中している職員には話しかけづらいと言われたり。
そして結局休んだり。
体調不良でお休みする人がいたら心配するのに。
気分が沈んでいる、どうしても職場がしんどくて耐えられないと言われたら全力でバックアップしたいと思うのに。
「自分は鬱です!!!」
と言わんばかりの人には一歩引いてしまう私でした。
結局、その人がどれだけ辛くても。
その人の主張で回りが結局頑張らなくてはいけない、人の2,3倍働かなきゃいけない。
ストレスで目がつぶれている店長が、鬱を診ているDrから電話で質問される。
こんなバカげた話があるのか。
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鬱のタイプもそれぞれだけど。
やたら攻撃的な人もいる。
自分が傷ついて可哀そうだったら、相手を不快にするような発言をしてもいいのか。
そこまで火急に迫られていない事実を正義のように身勝手に発信するメリットはあるのか。
それでいて自分が傷つけられれば「謝れ」だのなんだのと。
”うつ病”という疾患については本当に。職業として当たるならともかく。
一個人として当たるのは本当にきついし、憤りも感じる。
攻撃的な人は、自分に不利益があれば「自分に自業はないか?」と問うことができないように見える。
鬱であれ、健常であれ、私はそれが理解できない。
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「私だって一度は会社やめさせようかなと思ったよ。」
「実はこのままいけば本当に死んじゃうんじゃないかって不安だった。」
「死ぬかやめるかの二択しかないのか社畜こえーなーって思ってた。」
家族から言われた言葉だった。
結構職場の環境は気に入っていたがドライバータイプと気が合わなかった頃だった。
今になって思うけど
と兄弟が言う。
『私達って意外とストレス耐性あるんじゃないかなーって今更ね。』
…世の中。
■当たり前のタスクを当たり前にこなし、人間関係も良好、ストレスの少なそうな人
■ストレスに弱いくせに、耐えてしまう人
■ストレスに弱く、耐えられない人
がいるように感じた。
色々あってもなんやかんやまずは耐えようとする我々は、ストレスに弱いくせに耐えてしまう人にカテゴライズされるのではないかと兄弟は言ったのだ。
それは強さであり、『逃げ』の一手を打てない弱さでもあると。
上二つは「ストレス耐性」があるとされるが
一番下はそれがない人間で。鬱傾向だと思われることが多いんじゃないだろうか。
でも正直
「しんどい」と体が悲鳴を上げてくれる
「無理だ」と心が教えてくれる
こんな言い方をしてはいけないのは解っている、解っていても
それで逃げ出せる人を見ると、よっぽど世間的に「鬱」と言われる人は強いなと感じるのだ。
それでいて逃げ出せない人は本当に可哀そうだけど。
健常者を憎む人がいる。
自業も考えずに、人に優しくする努力をするわけでもないのに。
孤独だと嘆く人間が驚くことにいる。
人間関係なんて利害、それでなければ信頼愛情でしか結ばれないのに
信頼愛情を持っていない人間関係において「利害抜き」で自分に優しくしてほしい、自分を理解してほしいという人間がいる。
あほだなーと思う。
穏やかに、理知的に、常識的に。
もちろんこれを完璧には行えないけど
心掛けないよりは心掛けた方が関係は良好になる気がする。
店を出ていくとき
「私豆腐メンタルなのに大丈夫かな…もうだめな気がする…絶対ダメな気がする」
と嘆いていたら先輩から
「あなたはもう強いから大丈夫だよ、やめなかったのがその証拠。」
と言われた。
前の店舗に入りたての頃はメンタルが弱すぎていつ辞めるか心配だったと言っていた先輩からの言葉は大きかった。
結局は心を強くするためにまずは ”居場所” が必要だったんだなと。そうなんとなく実感した日だった。
まあそんなこんな。
ストレスを感じて出て行った責任感のある友人。
ストレスを感じてさらに周りにストレスを与える人々。
ストレスを感じながら必死に生きている家族。
ストレス耐性についてまた考える。