変遷
社会人1年目の春からいた職場から3年と数か月。
他店舗への異動が決まった。
「あっても先の事だとも思いながら生きてきたけど、とうとうか。」
というのが最初の感想。
そこからオペさん達や先輩方、同僚の事を考えるとじわじわ涙が出てきた。
寂しいのは、メンタルゴミだから仕方がないとして。
物事の終わり、一区切り、走った軌跡を振り返る時。
どうしようもなく感慨深くなってしまうのは癖だから仕方がない。
また何かしら辛い道のりを人生のために歩まなきゃいけない。
不変は好きだけど、前進のためには不変は”停滞”であり、変動を求めなければならない。
そう考えるからまたしんどいのかもしれない。
先生から「あんたは管理職になったら死ぬ」って宣言されてるけど全くその通りで
勉強も、仕事も、『一歩進めばどこかへは行く。』というのが持論で
走らないけど、脅迫概念で歩き続けるのが私だから。
先生の言っていた言葉はきっとそうなんだろうと思っている。
実際に元の店舗には
その前から愛されていた店舗があって
愛された流れと職員さんがあって
それを引き継いだ元管薬さんがいてくれて
教えてくれた先輩方がいてくれて
単純に、仕事の癖に「ここが好きだ」と思えるような職場だった。
正直辛い事や、いやそれはお前の完全なる当てつけだろとか、反論持ちつつ
イライラ~っとすることがないわけではなかったけど
それがない仕事の方が稀なわけで。
自分も成長の途中だったわけで。
様々な面で良い職場だったと信じてる。
今の店舗は、出ていく人が多かった割りに、別に居心地が悪いわけではない。
多分皆さんが気を使っていてくれているからだとは思うんだけど。
その代わりやはり仕事の内容は濃くなっていく。
夢にプレドニンとタクロリムスとスチバーガ―とイーケプラとラニラピドとetc.出てきたわ/(^o^)\
ここから、そして慣れてきたころからしんどいと思うけど頑張るしかない。
元の店舗の人たちに顔向けができるように。
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ところで。
「走らないけど、脅迫概念で歩き続ける」
はいい得て妙だったかなと思ってる。
結構大学の勉強は好きだったし(もうだいぶ忘れてるけど/(^o^)\)
周りも優秀な人たちばかりで、張り合うこともいがみ合うこともなく、
自分だけを冷静に見つめて、必要時にだけ周りと心地よく協力して
求められれば呼応し、健やかに
本当に健やかに国家試験に臨めたと思う。
でもそれは何も自分が偉いからだとか
自分が冷静沈着だからとか()
自分の勉強方法が正しかったからとか
余裕のない奴が理解できないからだとか
そういうことじゃなく。
親、兄弟、学友、親戚(中には耳に障るのもいたけど)の協力あっての事だった。
初めは成績が低(?)くても、やばいやばいと自分に火をつけて駆け上がっていく子達を見た。
医学部~とか理学部とか、そういった賢い人たちからするともしかすると理解できないかもだけど
試験に受かるのは
賢い人たちのように、勉学の道を当然に歩いて行ける人
背水の陣を作る人
着実に歩くのが好きな人
それぞれだ。
受かった人に否定するのはいい。
ただ、受かっていない、未だ勉強途中の人には「否定」以外の形で接してあげてほしい。
苦労していない人が、苦労している人を察してあげるのは難しいとは思う。
勉強面であれ、人生面であれ。
だから。わからないのであれば、本人が頑張っているうちは結果が出るまでは先行きを見守って欲しい。
苦労していない人の言葉は簡単にはその人には届かないから。
なかなかその一言で相手の行動を変えるのも難しいだろうし、心を乱すだけなのなら。
言わないでほしい。
今頑張っている人は頑張って。
今日はそんな気持ちだった。