たなとふぉびぃ

薬とか、人生観とか、振り返りとか。ネガティブではないけどポジティブでもない話

書き散らし

「結婚」というワードは私にとって苦痛でしかなかった。

多分今でも若干苦痛。

 

というか、中学生・高校生の頃の私に「自分は将来結婚する」と伝えたらまず信じてもらえないと感じる。

デブは変わらないし、そんな、結婚とか普通の女性のような人生は歩めないだろうって諦めていたから。

 

職場での1~3年目に吐いた

「私の遺伝子を子供に残すのは酷だ。結婚なんてしないし子供も作らない方が世のため。」

という言葉は強烈に印象に残っていたと、職場を離れる際に先輩からカミングアウトされた。

 

私は自分の人生がそこまで好きじゃないわりに家族は大好きだった。

自分以外が好きな自分の人生だった。

自分はクソオブクソ、ワーストオブクソ。

でも他はきらきらしてた。

 

そんな中で、やっと自分の中で肯定できるものが”薬剤師”だった。

別に達観しているわけでも、他を下にみるわけでもない。

薬剤師は「賢いね」と扱われるけど、そう言っている他人はその実職務内容を解っていない。

そんな陰ひなたの職業は私の性に合っていたし、そういった概念が好きで、

仕事は大変だったけど、「こんな私でも感謝される仕事ができた」という事実の重なりがなんとも楽しかった。

患者さんが回復すればそれはとても嬉しかった。

 

 

結婚ではそれを辞めさせられる。

せめて子供が大きくなるまでは。…なんて眉唾の言葉を飲み込んだ。

何より出自から「家に入るという事はそういう事だ」と解っていたからだ。

 

「そうですね。そういう家に入るという事は、今の職業を辞める事なんだと思っています。」

「そう言ってくれる人はなかなかいなかった。」

 

”そういう家に入るという事は、今の職業を辞める事なんだと思っています。”の言葉の前提として

(仕事を辞める以上のメリットをお前がくれて、尚且つ私がお前の事を好きになるならな!!!!!!)

という気持ちは当然あった。

ブスの癖に何様かもしれないけど

でなければ結婚というシステム自体があまりに非人道的だ。

その前提すらない相手とは付き合えない。

捨てられた時、何かがあった時、その時のために国家資格を取得させてくれた母に感謝している。

 

仕事をしていた方がマシな人生だったなんてなるくらいなら、このご時世なので即離婚だ。

 

女は慣れ親しんだ、愛している家族を捨てなければならず

性を捨て、戸籍を出され、愛する職すら奪われ、その収益以下でこき使われる予定の家庭に奴隷入りする。

それが結婚の正体だ。

 

「幸せね」

「おめでとう」

「私も結婚したい」

 

そんな言葉を聞くたびに薄ら笑ってしまう自分がいる。

嘘だろ??ってなる。

鼻で笑っちゃうわ、おへそでお茶が沸いちゃうわ。

 

そんな絶望の数々を「母親が安心する、次は兄弟の結婚事に専念できる」というメリットがぎりぎりいつも上回ってくれるから結婚できるだけだ。

 

 

幼馴染が

「養われたい欲はあるんだけど、自分の人生を他人に割きすぎるのは嫌なんだよね」

と。

マジ解る、マジそれな。

なんのメリットがあるんだろうな結婚ってな。

集団生物として個体を生むこと、くらいしかメリットないのでは。

経済協力パートナーって言うには、職を奪われるのだからメリットない気もするのだ。

 

 

 

 

*****

 

”自分たちは賢い”

そう自覚している人は一定数いる。

 

”自分たち以外にも賢い人たち、尊敬に値する人はいる”

そう理解している人もそりゃいる。

 

 

でも、誰しも尊敬に値するところがあると理解していながら。

目の前でしゃべっている人間にその理論をあてはめられない。

 

 

そんな一族だなという印象だった。

 

多角的に物事を捉えている

親切にふるまっている

 

人は自分がした素晴らしいことは強烈に印象に残り

他人からされた優しいことは印象に残らない生き物だ。

 

シングルマザーにどんだけ出費させるんだよ死ねって何回歯ぎしりしたかわからない。

コレはこちらが出すもの?

いや、今回はパターンが違うから。

 

…こっち家庭で結婚者でるの初めてなんで解らないですぅ(;^ω^)

パターンとは??何故説明しない??

どうでもいい安い場面ではお金を出し、ここぞという時にはお金がない、と。

家具買いに来たのにカード忘れてきたとかお前嘘やろ???ってなるわ。

 

*****

義母「今日署名って彼女に言った?」

相手「言ったよね???」

ワイ「??????(親戚の手前顔を立てておくか)そうでしたか?すみません、こちらが聞き取り不足だったようで。」

 

後に母から「ハンコ関係をあなたと私が聞き漏らすわけがない」と。

相手に電話で確認したら、皆の前で言ったつもりになっていた、と。

なら何故、断言できたのか。と聞けば。

 

過去は”断言しない主義”だったが、父からの教育で断言をするようになった。

後天性の断言が誤発射するときがあるという。

 

 

後天的に”断言する癖を身につけさせられた”として。

その断言によって被害を被る人間がいたのなら。

謝るのが筋では????⊂二二二( ^ω^)二⊃

 

過去は”断言しない主義”。

後天性の断言が誤発射。

 

薬剤師だったからか、確証性のないことを言うのなら責任をとれるようにしておけ、って思ってしまう。

ワイがおかしいんか???

 

間違っていたらごめんなさい、は常識では?

強い言葉を使うなら根拠を。

記憶があやふやなら、せめて断言は避けるなどした方がいいのでは???

 

これから先、大丈夫かなと思う所は多かったが

教育していくしかあるまい(´・ω・`)

 

圧倒的に知識が不足していたり、教養が足りていないのは私なので

教えてもらうことも多いとは思うけど。

 

*****

 

 

父親をあざけることは生涯なかった。

 

可愛い過去を弄ることはあれど、貶すなど。

 

 

一辺倒にそれを悪いとは思わない。

向こうにも向こうの事情があり、過去があり、彼の行いによって傷ついてきた過去があるんだろう。

ただ、耳が少し遠くなっている相手が

「だってそっちであーだこーだいうんだもん。」と言えば

「あーはいはい、そういう事にしておきましょうね」って。

 

患者さんに対応してきたこちらからすると高圧的で、尊厳を無視したような対応だった。

 

耄碌爺が何か言っている。

私たちはそれに振り回されている。

爺が言ったことは正当性がないからこちらで対応してあげる。

非難すると聞いていないふりをする、耳が遠いからとこの人は言い訳する。

 

…いや、どう見ても

老人性難聴→音は拾えても混雑環境下では意味を拾えず→解らないと言う

自然な流れ。

 

本来、病理として

難聴を患っている人間は、音が聞こえないと意味を邪推したり

周りからの「聞こえてる?」という確認を邪険にされていると考え

”怒り”に変換して出すことが普通なくらい。

 

それを怒りや怒鳴りに変換せず

「ああだこうだ言うんだもん、そっちでやって」

と理性的に返しているだけ尊敬に値する人だ。

 

少しのいじりならともかく。

二人がかりで一人を何度も非難するショーなんて、

関西のいじりからすればド三流未満だ。

 

 

相手がこちらの母を見る時の対応、返答も、

向こうの父に近いもの、扱いにくいもの、予測ができないものとして

低能だと決めつけられている感覚がする。

こんなに有能な人間滅多にいないのに。

 

だから、知識として「自分たちより有能な人はいくらでもいる」と解っていても

目の前の人間にそれが当てはまるだろうと推察することができていないと感じるのだ。

 

彼らは知識が豊富で、教養深く

多角的にものごと捉えられる。

 

だが、それを他人への情だとか

人間関係のよりよい構築へ向けることはなく

 

あくまでデータ収集に使われるだけのスキルなのかもしれないと推測した。

 

 

本当に誘導ばかり。

誘導に違反するのも余程のことでなければしないので、まあ、乗っている。

 

 

このシートが必要なんじゃないですか?

まあ!そんな必要性知らなかった!じゃあお任せしますね。

→こっちの負担

 

身一つで来てくれたらいいのよ!!

ホンマかいな…

パターンが違うから家具は払ってほしい

(ハンガー、エアコン、コンロ、カーテンは相手。こちらはそれ以外の全て)

シングルマザーにはきっついな…生きているのがもう嫌になる。本当に生きているのが嫌。

ごめんなさい、私が断れなかったから。

でも断らなかったから、安心できるんやんな、、たぶん、、

そう信じて私はいく。

 

 

まあ相手は本当に、

 

これで悪意があったら最悪なんだけど

いい意味でも悪い意味でも悪意をあまり感じない。

だから承諾した。

 

悪意を感じさせないようにふるまっているなら白旗降るわノシ

 

向こうの家族ぐるみの発言は解らないことも多いけど

 

お相手は賢いと感じた。

今まで他の男性と色々話してみて、感じていたストレスをあまり感じなかった。

私はアホだけど、アホに合わせて話してくれる感じの人だった。

 

もうどうでもいいやって思う中で希望ももてるのかなと信じたかった。

その中で最低限の幸せは確保してもらおうって。

 

*****

 

普通の家庭と言えば普通の家庭だった。

でも、家系は生易しいものではなかった。

いつか、軽い気持ちで言われた「家族の会に呼べる人たちがいい」という母の言葉が

ずっと残っていた。

残さないでって言われたけど、それを望んでいるのだろうし

それを叶えることで、やっと私は自分の人生を肯定出来る気もした。

 

受験とか、人生とか色々失敗してきて

それでもやっと兄弟の中で、いつも先だって失敗してきた私が

ようやく一つの成功を掴むんだ。

 

ならなんだって怖くない。

 

それどころか、薬剤師になるため・薬剤師になってから

”私の”世界の中で得難い友人、知人がたくさんできた。

高校の頃の親友たちもいてくれた。(高校のころの親友たちには申し訳なさのほうが募るばかりなのだけど)

 

罪滅ぼしでもいい、自己肯定でもいい、

進まないと話が先に進まない。

 

思う所はあれど、まだ些事。

莫大な借金が見つかりました、兄弟同士で骨肉の争いをしていました。

それよりはずっとマシ。

 

少しでも生き残れるように、頭痛と相談しながら色々やっていこうと思う。

 

 

 

ストレス耐性

 

 

 

「鬱は甘え」

 

 

よく聞く話。

自分は鬱ではないけれど、自分が鬱傾向だったころがあるからこそ、肯定もしてしまう自分がいる。

自分を否定する人間だからこそ、鬱は甘えだと自分で思ってしまうのだ。

 

 

 

「職場環境がストレスです」

 

 

といって、薬を目の前でバカスカ飲まれたり。

患者の見えるところで薬を飲んだり。

仕事に熱中している職員には話しかけづらいと言われたり。

 

そして結局休んだり。

 

 

体調不良でお休みする人がいたら心配するのに。

気分が沈んでいる、どうしても職場がしんどくて耐えられないと言われたら全力でバックアップしたいと思うのに。

 

「自分は鬱です!!!」

 

と言わんばかりの人には一歩引いてしまう私でした。

結局、その人がどれだけ辛くても。

その人の主張で回りが結局頑張らなくてはいけない、人の2,3倍働かなきゃいけない。

ストレスで目がつぶれている店長が、鬱を診ているDrから電話で質問される。

 

こんなバカげた話があるのか。

 

 

*****

 

 

鬱のタイプもそれぞれだけど。

 

やたら攻撃的な人もいる。

 

 

自分が傷ついて可哀そうだったら、相手を不快にするような発言をしてもいいのか。

 

そこまで火急に迫られていない事実を正義のように身勝手に発信するメリットはあるのか。

 

それでいて自分が傷つけられれば「謝れ」だのなんだのと。

 

うつ病”という疾患については本当に。職業として当たるならともかく。

一個人として当たるのは本当にきついし、憤りも感じる。

 

攻撃的な人は、自分に不利益があれば「自分に自業はないか?」と問うことができないように見える。

 

鬱であれ、健常であれ、私はそれが理解できない。

 

*****

 

 

 

「私だって一度は会社やめさせようかなと思ったよ。」

 

「実はこのままいけば本当に死んじゃうんじゃないかって不安だった。」

 

「死ぬかやめるかの二択しかないのか社畜こえーなーって思ってた。」

 

 

家族から言われた言葉だった。

結構職場の環境は気に入っていたがドライバータイプと気が合わなかった頃だった。

 

 

 

今になって思うけど

 

 

と兄弟が言う。

 

 

『私達って意外とストレス耐性あるんじゃないかなーって今更ね。』

 

 

 

…世の中。

 

■当たり前のタスクを当たり前にこなし、人間関係も良好、ストレスの少なそうな人

■ストレスに弱いくせに、耐えてしまう人

■ストレスに弱く、耐えられない人

 

がいるように感じた。

色々あってもなんやかんやまずは耐えようとする我々は、ストレスに弱いくせに耐えてしまう人にカテゴライズされるのではないかと兄弟は言ったのだ。

それは強さであり、『逃げ』の一手を打てない弱さでもあると。

 

 

上二つは「ストレス耐性」があるとされるが

一番下はそれがない人間で。鬱傾向だと思われることが多いんじゃないだろうか。

 

でも正直

 

「しんどい」と体が悲鳴を上げてくれる

「無理だ」と心が教えてくれる

 

こんな言い方をしてはいけないのは解っている、解っていても

それで逃げ出せる人を見ると、よっぽど世間的に「鬱」と言われる人は強いなと感じるのだ。

それでいて逃げ出せない人は本当に可哀そうだけど。

 

健常者を憎む人がいる。

自業も考えずに、人に優しくする努力をするわけでもないのに。

孤独だと嘆く人間が驚くことにいる。

 

人間関係なんて利害、それでなければ信頼愛情でしか結ばれないのに

 

信頼愛情を持っていない人間関係において「利害抜き」で自分に優しくしてほしい、自分を理解してほしいという人間がいる。

あほだなーと思う。

 

 

穏やかに、理知的に、常識的に。

 

 

もちろんこれを完璧には行えないけど

心掛けないよりは心掛けた方が関係は良好になる気がする。

 

 

 

 

店を出ていくとき

 

 

「私豆腐メンタルなのに大丈夫かな…もうだめな気がする…絶対ダメな気がする」

 

と嘆いていたら先輩から

 

 

「あなたはもう強いから大丈夫だよ、やめなかったのがその証拠。」

 

 

と言われた。

前の店舗に入りたての頃はメンタルが弱すぎていつ辞めるか心配だったと言っていた先輩からの言葉は大きかった。

結局は心を強くするためにまずは ”居場所” が必要だったんだなと。そうなんとなく実感した日だった。

 

 

 

まあそんなこんな。

ストレスを感じて出て行った責任感のある友人。

ストレスを感じてさらに周りにストレスを与える人々。

ストレスを感じながら必死に生きている家族。

 

ストレス耐性についてまた考える。

 

 

変遷

社会人1年目の春からいた職場から3年と数か月。

他店舗への異動が決まった。

 

「あっても先の事だとも思いながら生きてきたけど、とうとうか。」

 

というのが最初の感想。

そこからオペさん達や先輩方、同僚の事を考えるとじわじわ涙が出てきた。

寂しいのは、メンタルゴミだから仕方がないとして。

 

物事の終わり、一区切り、走った軌跡を振り返る時。

 

どうしようもなく感慨深くなってしまうのは癖だから仕方がない。

また何かしら辛い道のりを人生のために歩まなきゃいけない。

不変は好きだけど、前進のためには不変は”停滞”であり、変動を求めなければならない。

そう考えるからまたしんどいのかもしれない。

 

先生から「あんたは管理職になったら死ぬ」って宣言されてるけど全くその通りで

勉強も、仕事も、『一歩進めばどこかへは行く。』というのが持論で

走らないけど、脅迫概念で歩き続けるのが私だから。

先生の言っていた言葉はきっとそうなんだろうと思っている。

 

実際に元の店舗には

その前から愛されていた店舗があって

愛された流れと職員さんがあって

それを引き継いだ元管薬さんがいてくれて

教えてくれた先輩方がいてくれて

単純に、仕事の癖に「ここが好きだ」と思えるような職場だった。

 

正直辛い事や、いやそれはお前の完全なる当てつけだろとか、反論持ちつつ

イライラ~っとすることがないわけではなかったけど

それがない仕事の方が稀なわけで。

自分も成長の途中だったわけで。

様々な面で良い職場だったと信じてる。

 

 

今の店舗は、出ていく人が多かった割りに、別に居心地が悪いわけではない。

多分皆さんが気を使っていてくれているからだとは思うんだけど。

 

その代わりやはり仕事の内容は濃くなっていく。

夢にプレドニンとタクロリムスとスチバーガ―とイーケプラとラニラピドとetc.出てきたわ/(^o^)\

 

 

ここから、そして慣れてきたころからしんどいと思うけど頑張るしかない。

 

 

元の店舗の人たちに顔向けができるように。

 

 

 

******

 

 

ところで。

「走らないけど、脅迫概念で歩き続ける」

はいい得て妙だったかなと思ってる。

 

結構大学の勉強は好きだったし(もうだいぶ忘れてるけど/(^o^)\)

周りも優秀な人たちばかりで、張り合うこともいがみ合うこともなく、

自分だけを冷静に見つめて、必要時にだけ周りと心地よく協力して

求められれば呼応し、健やかに

 

 

本当に健やかに国家試験に臨めたと思う。

 

 

でもそれは何も自分が偉いからだとか

自分が冷静沈着だからとか()

自分の勉強方法が正しかったからとか

余裕のない奴が理解できないからだとか

 

そういうことじゃなく。

 

親、兄弟、学友、親戚(中には耳に障るのもいたけど)の協力あっての事だった。

 

 

初めは成績が低(?)くても、やばいやばいと自分に火をつけて駆け上がっていく子達を見た。

医学部~とか理学部とか、そういった賢い人たちからするともしかすると理解できないかもだけど

 

試験に受かるのは

賢い人たちのように、勉学の道を当然に歩いて行ける人

背水の陣を作る人

着実に歩くのが好きな人

それぞれだ。

 

受かった人に否定するのはいい。

ただ、受かっていない、未だ勉強途中の人には「否定」以外の形で接してあげてほしい。

 

苦労していない人が、苦労している人を察してあげるのは難しいとは思う。

 

勉強面であれ、人生面であれ。

だから。わからないのであれば、本人が頑張っているうちは結果が出るまでは先行きを見守って欲しい。

苦労していない人の言葉は簡単にはその人には届かないから。

なかなかその一言で相手の行動を変えるのも難しいだろうし、心を乱すだけなのなら。

言わないでほしい。

 

今頑張っている人は頑張って。

 

今日はそんな気持ちだった。

頭痛と鎮痛薬

カフェインは脳の血管を一時的に収縮させる。

 

 

私は片頭痛持ちである。

さいころから車酔いしやすかったが、頭痛を自覚したのは中学生、高校生頃。

ただそれは突発的なもので1年に2度3度ある程度のものだった。

 

 

社会人生活が始まって。

2週間3週間で初めの店舗から今の店舗に移動になった。

職場の人たちは営業時間の割に人数こそ少なかったけど、いい方たちばかりで。

自分は割と良いところに引っ越してきたんだなと思ってた。

 

ところが1年の終わりごろから先輩社員が抜けてしまい、後釜で来られたドライバータイプの先輩社員に何かと目を付けられ、さらにドライバー含め3人先輩社員が抜けることになり2年目後半には店長の次の位置になっていた。

 

ドライバータイプが傍に居た時から体調は悪かった。

新社会人という事もあり、環境も循環し抑鬱的だったと思う。

 

2年目の冬は仕事にも慣れたが単純に忙しく、またたくさんの人の出入りがあった年で。この年にメニエール。

12月には倒れたのを覚えてる。同僚に支えてもらったのもこの時だった。

でも2年目のこのころには片頭痛の片りんのような嘔吐、倦怠感は常に付きまとっていた。

 

 

3年目の6月にはもう頭痛で動けなくなる、仕事の能率が下がる、1日に6~8回は嘔吐するという症状が頻繁に出てきた。

仕事はしたい。

薬学は楽しかった。

別に仕事場に強烈なストレスを感じているわけではないし(いやちょっとはあったけど)

自分は鬱ではない。

だから続けたいのに出勤した瞬間や、休日に差し掛かると嘔吐する。

頭が割れるように痛くなる。

 

周りから「仕事を辞めろ」と言われてもやめたくなかった。

 

そりゃあ仕事場に、きのこんや、返ってくるはずの同僚や好きな人がいたから。

 

 

そんな状態を続けていた3年目6月に、店長から内科に行くように勧められ、大きな病院へ紹介される。

そこで処方されたゾルミトリプタンはまさに自分が欲していたような薬だった。

5HT1B/1Dアゴニスト怖い!って思っていたけど、なんて効くんだ!そりゃ20回分30回分処方されたくもなるわ。

嫌な予感がしたらコレを飲めば仕事も後半戦乗り切れる。

 

…で、バカスカ頓服服用した結果

 

あんまり頭痛の頻度が減らないなーとなったわけだ。

 

真面目に、実直に、仕事に出るために。

そう思って使っていたゾルミトリプタンの週2回以上、3か月間以上の使用で

私の頭痛に対する基礎防衛力はなくなってしまったらしい。ニート

防衛力がニート

 

セカンドオピニオンを取った結果、

生活習慣的に「コーヒーと緑茶2か月禁止」「ゾルミトリプタン2か月禁止」

令が出た。

 

私コーヒーと緑茶で生きてきたような人間なのに…( ゚Д゚)

コーヒーは反省するけど、緑茶!?緑茶も!!?

そりゃカフェイン入っているとは理解していたはずだけど、そんなに?

日本人がみんな飲むのに???と。

緑茶のカフェインをなめてました。というか日常の水分ほぼすべて緑茶だった私が悪いのか…

 

とりあえず医師の言う通り

ゾルミトリプタンも、カフェインもやめてみた結果

受診後1日で吐き倒しました/(^o^)\1日9回(職場3回、帰り道3回、帰宅後3回)嘔吐。

6時間で収まっていた頭痛は12時間たっても収まらずと地獄でした。

 

でもこれで少し落ち着いてくれたらと願うしかない。

 

Dr曰く、「死ぬ!と思うと思うけど死なないから頑張って、マジできついから。」

だそうで。

「死なないのは解ったから殺してクレメンス」ってなる状態の頭痛でした先生。

 

 

片頭痛の説明を受けている際に。

「”一生のうちに5回頭痛になったら頭痛持ち”。 嘘だ!って思うでしょ?でも僕は頭痛専門医だけど今まで一度も頭痛になったことないんです。」

とDrに言われた。

 

また、片頭痛の諸症状を言われて涙が止まらなかった。

どれもこれも私が経験してきたしんどいことだった。

しかも片頭痛は親の遺伝が強いと言われ、母が気に病まないことを必死に願った。

 

頭痛になったことないくせに専門医なのかー!!!って言いたくなったけど男性の産婦人科医もたくさんいるもんな('ω')

 

 

 

******

 

 

同僚から「何がストレスなの?」と聞かれて困ったけど

正直分からない。というかきっと細かいことが多く多く積み重なっている。

私的なことを仕事に持ち込みたくない。

私的なことを持ち込んで体調崩して仕事場に迷惑をかけるなんて僕の本意じゃない。

 

最近ずっと目覚ましよりも早く起きる。

 

はっ…!!?( ゚Д゚)!!?あっ、5時か…

 

が多すぎる!

 

とりあえず、今日はちゃんと寝よう。。。

他人への定規と拡縮

少し前、知人から

 

「もうさすがに父親の死は乗り越えたでしょ?」

 

と言われたことがあった。

 

 

多分、何も考えず「まあもうさすがにね、7年は経ってるから」と答えたと思う。

別に毎日父親を想って泣くことはないし、そもそも葬式の時にはショックすぎて泣けなかったし、後から後からじわじわと思い出が胸を潰して泣いた程度で

他人からすればこれは『乗り越えた』という状態なんだろうなと飲み込んだ。

 

 

所変わり、これまた知人から幾多の体調不良を乗り越え親が生きてくれたという話を聞いた。

そしてこの時もまた、「マジか、命あってのだし、本当に良かったなあ。」と心の奥底からそう思ったしそう伝えた。

 

父の死について、不平等性を嘆いたことはない。

 

とそう思う。

私は他人に対してできれば怒りたくないし、不平等性も逆な不平等性も非難するのは避けてきたし、他人が傷つくことは極力控えてきたつもりだった。

 

それでも。

家族が傷つけられることには敏感だったように思う。

 

『私なら、きっと亡くした人たちの前でそんな話しない。どれだけ嬉しくても。』

 

虐待を受けていたような状態の彼女にとって、彼の死はそんなにも重たかったのか。

それでも大好きだったんだなと泣けてくる。

 

 

でも相手がそう話してくれたのは、私達を家族のように思ってくれているからだと私は信じて疑えなかった。

私達には家族の無事を喜んで伝えるだけの愛情がある、そう感じてくれているからだと。

だからこそ、私は相手の家族が無事なら本当に嬉しい。

死ぬなんて 本当に何もかもなくなってしまう事だから。

誰もかれも、相手の身内でも身内でなくても誰であったって、生きてくれていたらよっぽど嬉しい。

 

きっとこれが「乗り越えた」らしい私の答えなんだろうと思った。

 

 

ただ、たぶん。

私のもう片方の親はかなりのレベルの交通事故を何度も経験しているが生きていて、

その幸運を交通事故で親を亡くした相手に言うことはないだろうなとも思った。

 

私はその報告が聞けて嬉しい。

だからそれはいい。

自分だけの物差しで相手の話を遮らなくてよかったんだ。

 

ただ、自分は結局、身近な身内の死について本当に乗り越えられているのだろうかと不安になった。

大事でもないように「実は他界してまして」と言うのが社会人であると思った。

「もう乗り越えたでしょ?」に「うん」と答えるのが乗り越えることだと思った。

ドキュメントで父親関連の感動モノが出ても心がえぐられないのが、乗り越えたという事だと思った。

 

でも1周回って、そうでもないなと思うように…やっとなってきた気もする。

 

父や母の死は7年の年月で「乗り越えられる」物なのか?

実はそうでもないんじゃないか?

他人に迷惑をかけない範囲であれば、自己消化する分には 

悼んで、悲しんで、死者を利用して自分を顧みてもよかったんじゃないか?

あの時、「表立っていう事はなくても、未だ乗り越えられていないよ、未熟でしょ?」と言ってもよかったんじゃないのか。

 

自分を許しても、もう少し甘やかしてもよかったんじゃないか。

 

折れそうになりながら走っていた。

 

母親の無事を心を痛めながら祈った彼女だって、折れそうになりながら走っていた。

 

『親の無事を祈って、親が死ぬのではないかと胸を痛めながら走った時間』は

それこそ私たちにしか共有出来ないものなんじゃないのか。

だから、話してもらえてきっと私は良かった。

彼女の母の無事を聞けて心から良かったと思ってる。

そして本当にこれからも長生きしてほしい。

 

私が得られなかった両親との時間を、当たり前のように享受してほしい。

彼女だけでなく、コレを読んでいる両親が揃った皆様にもだ。

医療とセクハラ、モラルの話

<attention>

性的描写があり、不快感を与えるかもしれないので嫌な予感がしたらブラウザバックプリーズ。

</>

 

 

 

「女の陰部がゆるくてイマイチ楽しくない。絞めるようなこう…数時間前に使うような薬ないのかな?出たことない?」

 

非通知の電話でこんな質問が来た。

 

「筋を収縮させるような塗り薬は、取り扱ったことはないですね。婦人科や整形に訊いてもらったらいいと思います。自費診療にはなると思いますが。」

「ふーん。いや、女にまた別の男ができたらしくてね。またそいつのがでかくて15~20cm?僕のは(ここらへん気が遠くなって覚えてない)女って大きいのがいいんですかね?女としては奥に届いた方が気持ちいいんでしょ?あなたは?」

「人によるんじゃな」

「女の膣が広いとこっちは気持ち良くないしねー、婦人科に言って相談しても自費ですし、お互いいい歳ですから~って言われて。」

 

「それってお相手の女性に対してもお話ししているんですか?女性が気にしているならともかく、男性が思った効果を得られないからといってあちらこちらに相談するのはちょっと…」

「女に言ったら気分悪くするかなと思って言ってない。」

「アーナルホドー」

 

こっからはもう気持ち悪さがカンストして覚えてないけど、あいつホンマ500回くらいセクロスして性交死で他界せんかな。

 

 

デリケートゾーンの見た目が気になっている女性とか、

EDで悩む男性とか、

そんな質問には答えるけど。

 

相手の女性を貶めて、自分だけの快楽を求めて相手に手術を受けさせようとした人間性がもう無理だった。

「キモイ」というワードが生まれた世代の人間だから、できる限り他人様の事を「気持ち悪い」と思うのはやめようと心にして生きてきたけどごめん普通に気持ち悪かった。

 

お相手の女性の性情報も出して、何センチとか世界一どうでもいいのに生々しい情報出されて結構精神えぐられた一日だった。

奥でやすんでな、と言われて奥で休んでみたけど気持ち悪さで涙が出るし。

静かだとあの声が脳内再生されるし。

また頭痛がするんじゃないかという心配してくれた声に、頭痛を起こす自分なんて最低だとまた涙が出る。

 

 

頭痛は今日は大丈夫、きっと大丈夫。

 

 

次に私の大好きなこの店舗に、できる人が来るならば。

その人は頭痛なんてものを持っていない人がいいな。

怒らない怒らない

基本的に、あまり怒らない人間だと言われている。
さすがに距離の近い人間には怒っているのを見られることもあるけれど。


別に怒りの感情が薄いとかそういうのじゃない。
クソリプ垢作って相手に怒りのリプをぶつけるのはアリだと思ってる。

かぁ、と競り上がってくる怒りを生身の人間にぶつけるイメージが湧かないのだ。

社会人になって思ったのは
「人生ままならないなあ」
「他人は思ったように動かないというより、私と考えが違うんだなあ」
とか、そういうこと。

でも、社会人になって、気持ちのままに生身の人間に怒ることができる人種を初めて見た。
怒っている間ってどういう感情でしゃべっているのかなとつくづく疑問だった。


その声のトーンを落とし、相手に伝えようとする努力を、最初から放棄していたのか…途中でそうなってしまったのかはわからないけど。

私はそういう人たちが得意ではないのだと思う。


ついでに言えば我が強くて、自分勝手な人はもっと得意じゃない。
自分を縛れないのだもの。
感情に任せて喋る人達と同カテゴリーだ。


でも、生身の相手に優しく接していて
相手はそれで育たなくて
私が悪いのかと鬱になり
きつく言えばそれで相手も私も救われるのかと疑問に陥り
二進も三進もいかなくなる。

どちらにもなりきれない、言いたい言葉はきっとたくさんある。
でもそれが相手を傷つけるかもしれない。

これが単純に難しく。

わがままな人を見ていると、単純に怒りがわく理由の一端だ。