たなとふぉびぃ

薬とか、人生観とか、振り返りとか。ネガティブではないけどポジティブでもない話

他人への定規と拡縮

少し前、知人から

 

「もうさすがに父親の死は乗り越えたでしょ?」

 

と言われたことがあった。

 

 

多分、何も考えず「まあもうさすがにね、7年は経ってるから」と答えたと思う。

別に毎日父親を想って泣くことはないし、そもそも葬式の時にはショックすぎて泣けなかったし、後から後からじわじわと思い出が胸を潰して泣いた程度で

他人からすればこれは『乗り越えた』という状態なんだろうなと飲み込んだ。

 

 

所変わり、これまた知人から幾多の体調不良を乗り越え親が生きてくれたという話を聞いた。

そしてこの時もまた、「マジか、命あってのだし、本当に良かったなあ。」と心の奥底からそう思ったしそう伝えた。

 

父の死について、不平等性を嘆いたことはない。

 

とそう思う。

私は他人に対してできれば怒りたくないし、不平等性も逆な不平等性も非難するのは避けてきたし、他人が傷つくことは極力控えてきたつもりだった。

 

それでも。

家族が傷つけられることには敏感だったように思う。

 

『私なら、きっと亡くした人たちの前でそんな話しない。どれだけ嬉しくても。』

 

虐待を受けていたような状態の彼女にとって、彼の死はそんなにも重たかったのか。

それでも大好きだったんだなと泣けてくる。

 

 

でも相手がそう話してくれたのは、私達を家族のように思ってくれているからだと私は信じて疑えなかった。

私達には家族の無事を喜んで伝えるだけの愛情がある、そう感じてくれているからだと。

だからこそ、私は相手の家族が無事なら本当に嬉しい。

死ぬなんて 本当に何もかもなくなってしまう事だから。

誰もかれも、相手の身内でも身内でなくても誰であったって、生きてくれていたらよっぽど嬉しい。

 

きっとこれが「乗り越えた」らしい私の答えなんだろうと思った。

 

 

ただ、たぶん。

私のもう片方の親はかなりのレベルの交通事故を何度も経験しているが生きていて、

その幸運を交通事故で親を亡くした相手に言うことはないだろうなとも思った。

 

私はその報告が聞けて嬉しい。

だからそれはいい。

自分だけの物差しで相手の話を遮らなくてよかったんだ。

 

ただ、自分は結局、身近な身内の死について本当に乗り越えられているのだろうかと不安になった。

大事でもないように「実は他界してまして」と言うのが社会人であると思った。

「もう乗り越えたでしょ?」に「うん」と答えるのが乗り越えることだと思った。

ドキュメントで父親関連の感動モノが出ても心がえぐられないのが、乗り越えたという事だと思った。

 

でも1周回って、そうでもないなと思うように…やっとなってきた気もする。

 

父や母の死は7年の年月で「乗り越えられる」物なのか?

実はそうでもないんじゃないか?

他人に迷惑をかけない範囲であれば、自己消化する分には 

悼んで、悲しんで、死者を利用して自分を顧みてもよかったんじゃないか?

あの時、「表立っていう事はなくても、未だ乗り越えられていないよ、未熟でしょ?」と言ってもよかったんじゃないのか。

 

自分を許しても、もう少し甘やかしてもよかったんじゃないか。

 

折れそうになりながら走っていた。

 

母親の無事を心を痛めながら祈った彼女だって、折れそうになりながら走っていた。

 

『親の無事を祈って、親が死ぬのではないかと胸を痛めながら走った時間』は

それこそ私たちにしか共有出来ないものなんじゃないのか。

だから、話してもらえてきっと私は良かった。

彼女の母の無事を聞けて心から良かったと思ってる。

そして本当にこれからも長生きしてほしい。

 

私が得られなかった両親との時間を、当たり前のように享受してほしい。

彼女だけでなく、コレを読んでいる両親が揃った皆様にもだ。