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悩みを抱えてうずくまるように没していった友達を何人か見てきた。
類は友を呼ぶはよく言ったもので、気鬱傾向の私の友人もやはり
「不登校」だったり、「躁鬱」であったり、「鬱」であったりした。
そうこう言う私も、ごく少数の頻度にはなったが急な気持ちの焦り・焦燥感・吐き気、頭痛そんな症状で立ち上がることすら困難な状態になることがある。
『鬱の状態は女性に多く、認知欲求が高い病態で、患者だけでなく患者の周りの人間も状況に巻き込みやすいものである。』
そう、昔教えられた。
私の場合、父が大学時代に死去したことにより、自分でも引くほどに勉強にブーストがかかった記憶がある。
「どうせ私なんて受からない」
「どうせ私は馬鹿だから」「絵も描くけど才能ない」
「楽しいから楽しさを消費しているだけ」
保守的で、どうしようもない甘えたから一歩踏み出せたのは”父の死”のおかげ。
最大のプレゼントであったと思っている。
親の最後の教育は”死”とはよく言ったものだ。
だから、父の死が私に勉強への意欲を与え、逆に言えば脅迫概念を与え
父が好きだった「根性論」を毛嫌いしていた私はいつしか、「1進めば100に到達できる」といった根性論主義者になってしまった。
いいことなのか、悪い事なのかはわからない。まあ精神を病んでいる人間に言うのはダメなんだろう、きっと。
この状態を中学時代から起こせれば、普通にどこにでも大学は行けただろうなとも思う。
家族がドン引くほどの気迫と変化であったらしい。
自分が病んでいたとき、根性を投げつけられるとしんどかった。
でも、根性を経験して成功したら、してしまったら、病んでいる人に対して”成功体験”としてアドバイスしたくなるのも切なかった。
「私でも助かったのだからぜひ、これ(根性論)で助かるのなら助かって欲しい。」
もしかすると、父もそんな気持ちで私に届かない根性論を説いてくれていたのかもしれない。
人の願いや想いは大抵、必要なときに届かない。